まずは、自分を好きになりたい。

幸せになりたいみやーんの自問自答の日々。何かあなたの「きっかけ」になれば。

自分はいつから人が怖くなったのだろう?

f:id:love_myself:20180821220333j:plain

 今の自分にとって一番辛い事って何か、といえば、10代の頃から変わらず「人が怖い」という事で間違いない。

怖いからうまく喋れない。怖いからみんなに溶け込めない。怖いから相手の顔が見れない。相手に見られている視線が怖い。自分が相手に対して抱いている恐怖は相手にも伝わる。そしていつも言われる。「みやーん君て、怖いよね」。

いつも人を怖がっていた僕は、この言葉を言われる事が何より怖くなった。そしてますます人が怖くなって、その恐怖は相手にも伝わった。底のない対人恐怖の無間地獄。前は怖いと感じなかった人でも、次々と新たな恐怖の対象になった。「あの人に対してもうまく話せなくなってしまったらどうしよう」と意識したらもうダメだった。二十歳になる頃には、家族に対しても自然に話す事はできなくなっていた。

そして、二十代前半は、暗黒期だったと今でも思う。ごまかしごまかし凌いでいた気力もついに尽き、僕は鬱になった。ベッドからなかなか起き上がる事もできず、自分の過去と将来の全てを悲観し、死ぬ事を考えていた。

でも、今思い返せば、あの頃は鬱というある意味わかりやすい状態になったから「暗黒期だった」なんて感じるけれど、その前からとっくに僕は病んでいた。明確に対人恐怖のパニック発作を起こすようになったタイミングは覚えている。中学2年の頃だ。

中学2年というのは、僕にとって「特別な」一年であった。「人生で一番楽しかったのはいつ?」と訊かれれば、(本当は「今」と答えたいところだけど)「中2の時」と答えるくらい面白おかしい時だった。なにせ、学校が楽しすぎて夏休みなんていらない、とすら思ってた。

それまで学校ではいじめられっ子、もしくはいじめられていなくてもクラス最下層、といったポジションだった僕が、初めてちょろっとだけ「クラスの人気者」になれたのは中2の時だった。どういう訳だかそれまで中の下だった成績も、学年で450人中15位とかまで上昇した。初恋も中2の時だ。

最下層からの転換を果たしたきっかけもよく覚えている。中1でいじめを克服したが、結局僕はいつもうじうじしている人間だった。すぐに落ち込み、いつも人間関係の心配ばかりしていた。そして、うじうじが行きすぎた時に、急に開き直ったのだ。「今はもう誰からもいじめられてなんかいないじゃないか。学校へ行っても誰からも殴られたりしない。無視されても避けられてもいない。なら、どうして自分はこんなに心配ばかりしているのだ。悩むのはやめよう。とことん明るく前向きになってやろう」

そこから強引に自分のメンタルを捻じ曲げた。何があっても無理やりにでも前向きに考えるようにした。その結果僕は一気に明るくなった。明るくなったら、自然とみんなから好かれるようになった。自分が変われば世界が変わるという体験をした。

その結果、僕は中2から学校が楽しくなった。急に勉強までできるようになった。それまでは絵が上手い以外何も取り柄もなかったが、「成績優秀」という新しいポジションも手に入れた。そこから中学を卒業するまでは、とにかく楽しい日々を過ごす事ができた。

だが、それと共に、現在に到るまで僕を苦しめる事になる対人恐怖症の発作が発症したのも、中2からだった。

遅くなってしまったので、続きは明日にしようと思う。

それでは、おやすみなさい!

 

エホバの証人2世であった事に囚われないで

f:id:love_myself:20180820141903j:plain

のっけから狭い話題となってしまうが、自分の人格形成を考える上で、やはりここが決定的な素養となっているのは間違いない。

エホバの証人2世として育てられる事の特殊性を分かりやすい部分だけ取り上げるとしたら、「エホバの証人以外の人たちは皆サタン(悪魔)の側の人たちだから、親しくしてはいけない。クリスマス等の各種イベントも、悪魔の宗教が元になっているものだから祝ってはいけないし、催し物にも参加してもいけない。本もテレビもゲームも悪い世の中の影響を受けるからあまり見てはいけない。子供も親と一緒に奉仕と呼ばれる一般家庭への宣教活動に参加しなければならない」というものだろう。もちろんそれぞれの親の価値観によって振れ幅はあるが、基本的にはそういったものである。

ついでに他の「禁則事項」を幾つか取り上げるなら、「輸血禁止」「喫煙禁止」「賭け事禁止」「信者以外との結婚禁止」「結婚前のセックス禁止」「結婚前提以外の男女交際禁止」「男女が部屋で二人きりになるの禁止」「というかオナニーもエロい事考えるのも禁止」「肌の露出が多い服装禁止」「男が長髪にしたりピアスを空けたり、だらしなく見える格好するの禁止」「過度の飲酒も禁止」等々。思い出せるだけで出るわ出るわ。

ここに「ふさわしくない」と言われる「明確な禁則事項ではないけどやると周囲から白眼視されるローカルルール」を加えたら、それだけで小冊子が一冊書けちゃう。もっとも一応補足しておくと、ローカルルールに関して言えば「日本の」エホバの証人ではダメと言われているだけの事がほとんどである。それらの本質は「みんながそう言ってるから」が基準であり、神や聖書とはまるで関係がない。だから誰か偉い人が違う事を言ったら、その瞬間からそれまでダメとされていた事をみんな始めたりする。日本人の特性である「同調圧力」が「教義」の後押しを受けて限界まで高められているのが日本のエホバの証人の特徴である。何せ禁則事項を破ったら「排斥処分」になって、ガチの村八分になるからね。いずれにせよ、「日本のエホバの証人2世」の僕らからしてみれば、迷惑極まりない事でしかなかったけど。

そんなんで、子供の社会性が育まれるわけがない。だから、宗教は心を救うためにあるもののはずなのに、エホバの証人の2世には驚くほど鬱病神経症・コミュニケーション障害の人が多くいる。もっとも、これは2世という特殊な立場から来る影響が大きい。親の立場(いわゆる1世)は大人になって分別がつくようになってから、自らの意思でその信仰に入っている。つまりは多種多様な禁則事項についても理解の上で入っているのだ。生来真面目な人が入るのだから、むしろ願ったり叶ったりである事も多い。

だが、生まれた時から自分の意思に関わりなくその教義を強制される2世からしてみれば、全く話は別である。一番多感で人間関係に敏感な時期に、社会から隔離されるよう強要されるのだ。遊びもイベントも大きく制限される。だから僕も、クリスマス会等のイベントの思い出も、甘酸っぱい青春時代の男女交際の経験も、思い返して絶無である。「我が青春に悔いあり」としか言えない。

だから、途中で信仰から抜け出した「はぐれ2世」達は、エホバの証人や自分の親を恨んでいる人もかなり多い。「エホバの証人2世」でググれば、「被害者の会」みたいなサイトがたくさん出てきます。

だけど。

今の僕からすると、今はもう親から信仰を強制された事について恨んではいない。周囲の信者たちや、ものみの塔の組織に怒りの感情を抱いてもいない。子供の頃は、それは恨んでいた。悲しいことやみじめなことも本当にたくさんあった。僕は自分の子供ができたら、絶対に自分と同じ様には育てたくないとも思っている。

だが、僕個人の感情だけで言えば、もうどうでもいい事と思っている。自分は信仰の道を捨て、彼らからも適切な距離を取った。自分の中で完全に決着をつけた。確かに、親がエホバの証人でありその信仰を強制された事で負った傷はたくさんあるだろう。それは事実だ。もしいわゆる「普通」の家に生まれる事ができたのなら、そちらの方が良かったのも確かだ。子供であった自分に親は恨めなかったが、自分の境遇を呪った事は何度でもある。

だけど大人になって色々わかった。僕は親から世間的に見てかなり偏った教育を施されてはいたけど、世の中にはネグレクトされて親からまるで顧みられる事もなかった人たちもたくさんいるのだ。「毒親」と呼ばれる子供の心身に虐待を与える親だっている。「エホバの証人の家に生まれてさえいなければ」と言ったところで、無宗教の家に生まれていたらそれで何不自由なく生きてこられたという訳でもないのだ。確かに歪んでいたとは思う。それでも親は親として子供を見捨てる事はなかった。それどころか、彼らなりに最善と信じてそれをしていたのだ。

究極論で言えば、戦時下に生まれてきたり、食料事情が悪い国に生まれてきたばっかりに、親を恨むどころか生きる事さえ許されなかった子供たちだって、世界には幾らでもいるのだ。

そして「普通の家」に生まれても「恵まれた家」を羨む事はできる。もっと金持ちの家に生まれてさえいれば。もっと美男美女の親から生まれてさえいれば。白人として生まれてさえいれば。もっと、もっと。。。生まれなんて上を見たらキリがないし、下を見ても果てがない。自他を比べて幸不幸を測り出したら、それこそ果てのない無間地獄の底の底まで行ってしまうのだ。

結局、「ないものの数を数えても虚しいだけ」で、「あるものを数えていく」事でしか幸せにはなれないのだ。

何より、人生にやり直しなどないのだ。どれだけ生まれを呪おうが、もう一度生まれ直してくる事など誰にもできない。で、あれば、いつまでも自分の生まれてきた環境を恨んでいても、不幸の上塗りをする事にしかならないのだ。どれだけ辛くても、今生きているこの人生を生きるしかない。

また、大人になってわかった事は、親も所詮は弱い人間でしかない、という事。子供から見ると親というのは何でもできる大人のように見えてもしまうが、自分が大人になってわかるのは、大人になっても人間はそう大した事ない、という事。きっと親には親の苦悩があり、そこに生じた心の隙間を埋めてくれたのが、宗教であったのだろう。

それを理解して、その上で親に対し「僕はもう信じていないし、この先戻るつもりもない」と伝えた時点で、全てを水に流した。全てを許した。自分を産み育ててくれた親に対し「許す」と言うのもおこがましい表現かもしれないが、大人だって弱い。弱いから過ちを犯す事もある。だから「許す」しかないのだ。

僕は自分の人生に与えられた理不尽を、選べなかった「普通の暮らし」の全てを許した。だから、今は何の恨みもない。二度とエホバの証人の世界に戻るつもりもないし、自分の子には決して同じ事はしたくもないけど、別にそれにとらわれて恨みつらみを並べる気持ちにもまるでならない。

前述したように、ネットには「さまよい出た2世の恨み言」がたくさん溢れている。気持ちはよくわかる。自分も同じ道を生まれてから20年以上も歩いてきたのだから。

だからこそ思う。「これ以上それに囚われていたら、人生がもったいないよ」と。

信仰に従っているのも、そこから抜けた後もそれにこだわり続けているのも、「同じものに囚われている」事には変わりない。同一直線上の対称点であると言うだけだ。「自分はもうそこから抜けた」と言うならば、自分の心もそこから解放しないと、身体しか抜けていないという事だ。それでは、あまりに人生がもったいないではないか。

これを読んだ「エホバの証人2世」はきっと反感を抱くのではないかと思う。「お前は全然わかってない」「そうもいかないから苦しんでいるんだ」「この過ちを世の中に知らしめる事が自分たちの使命だ」と。でも、どれだけ悲しみを共有したところで、自分を救えるのは自分しかいないのだ。悲しみを分け合い、慰め合う事もいい。でも、ある程度したら、それすらも過去にして、新しい人生を歩き始めよう。誰のためでもなく自分のために。

僕が「エホバの証人2世であった自分」に対して思う事はこれくらいです。ただ、育まれた社会への恐怖感や自尊心の欠如に関しては、全然現役です。「こうなった直接的な理由の解析」と「それを克服するために」は、この先の記事にしていくつもりです。

ではまた! おやすみなさい!